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マイルス・デイヴィスのアルバムを年別に紹介

1940年代のMiles Davis

・1944年の9月にニューヨークにやって来たマイルスは、ジュリアード音楽院に通うも1945年に中退、その後チャーリー・パーカーの下で、当時最先端のビバップ・ムーブメントの中に身を置く。

・パーカーのバンドでのマイルスは、前任者のディジー・ガレスピーのようには演奏できなかったが、典型的なビバップの雛形であるディジーとは対照的な、間を活かした演奏をし、それが後の重要な個性になった。

・1945年に初録音、1947年に初リーダーセッションを行う。

・1948年の年末にはパーカーのバンドから脱退ビバップから距離を置き、徐々に自身のオリジナルな表現方法を獲得した。その時期の代表作が「クールの誕生」

・1949年5月、パリで初の海外公演を行う。

「ニューヨークの最初の週は、バードとディズ(チャーリー・パーカーディジー・ガレスピー)を探しまわって終わった。二人を探してありとあらゆる場所に行って、金も使い果たしてしまった。それでも二人は見つからなかった。家に電話して、おやじにもっと金を送ってもらわなきゃならなかった。この時はまだ、酒もタバコもクスリもやらず、クリーンなものだった。音楽がそこにある、それだけで満足していたんだ。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.77

First Miles

ファースト・マイルス

 

「ファースト・マイルス」

録音:1945, 1947

リリース:1990

[1945/04/24]

Rubberlegs Williams – vocals

Miles Davis – trumpet

Herbie Fields – tenor sax, clarinet

Teddy Brannon – piano

Leonard Gaskin – bass

Ed Nicholson – drums

[1947/08/14]

Miles Davis – trumpet

Charlie Parker – tenor sax

John Lewis – piano

Nelson Boyd – bass

Max Roach – drums

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・1945年4月24日にラバーレッグス・ウィリアムスという歌手の伴奏を務めたマイルスの初録音と、メンバーにチャーリー・パーカー(テナーサックスを吹いている)を含む1947年の初リーダー・セッションが収録されている。

・初録音は満足に演奏できず、マイルスにとって苦い記憶だったという。

"Milestones"は1958年にレコーディングされ、「マイルストーンズ」に収録されるものと同名だが、別の楽曲。

"Half Nelson"の曲名の由来は、ベースのネルソン・ボイドから。

重要度:★☆☆☆☆

「緊張しまくって、ソロはなかったのにアンサンブルすら、ろくに吹けなかった。レナード・ガスキンがベースで、ラバーレッグス・ウィリアムスという歌手がいたのは憶えているが、あのレコーディングのことは忘れようと言い聞かせてきたから、他に誰がいたかはわからない。オレの初レコーディングは、本当に酷いものだった。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.99

 

「バードと演奏し、五ニ丁目に毎晩出ていたおかげで、初めてリーダーとしてサボイでレコーディングするチャンスがやって来た。”マイルス・デイビス・オールスターズ”という名前で、バードがアルトじゃなくテナーを吹いてジョン・ルイスがピアノ、ネルソン・ボイドがベース、マックス・ローチがドラムスだった。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.163-164

In Paris Festival International De Jazz May, 1949

パリ・フェスティヴァル・インターナショナル

「パリ・フェスティヴァル・インターナショナル」

録音:1949

リリース:1977

[1949/05/08~15]

Miles Davis – Trumpet

James Moody – Tenor Saxophone

Tadd Dameron – Piano

Barney Spieler – Bass

Kenny Clarke – Drums

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・1949年にタッド・ダメロンと共に、パリで行われた国際ジャズ・フェスティバルに参加した、マイルス初の海外公演

「クールの誕生」制作と同時期だが、このライブではそれとは異なったビバップ・スタイルの演奏を繰り広げている。

・マイルスはパリ滞在中にサルトルピカソに会ったり、歌手のジュリエット・グレコと恋に落ちたりといった、大きな経験をする。

・パリではビバップの人気が高く、ジャズは文化として評価されており、マイルスは大歓迎を受け、スターとして扱われたアメリカ帰国後にはパリとのギャップに心を痛め、薬物中毒に陥ることになる。

・マイルスが曲紹介をしており、特徴的なハスキーボイスになる前の声が聞ける。

・このフェスティバルにはチャーリー・パーカーのバンドも招かれていた。

・ラジオ番組の録音のため、あまり音質が良くない。

重要度:★★☆☆☆

「オレにとっては初めての海外旅行で、物事の見方を完全に変えられてしまった。パリという街も、オレに対する待遇も気に入った。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.199

 

「帰ってからもずっと落ち込んでいて、そうと気づく前に、抜け出すまでに四年もかかることになるヘロインにとりつかれていた。オレは初めて、自分で自分のことがわからなくなっていた。一気に死に向かって進んでいたんだ。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.202

Birth of the Cool

Birth of the Cool

「クールの誕生」

録音:1949~1950

リリース:1957

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ノネット(9重奏団)を率いて、作り込まれた音楽を目指した作品。

・ホルンチューバなどジャズでは珍しい楽器が入っている。

・マイルスはこの音楽のヒントをクロード・ソーンヒル楽団から得た。その楽団でアレンジを担当していたのが、今作にも参加したギル・エヴァンスジェリー・マリガンだった。

・マイルスの盟友となり、後に何度も仕事をすることになるギル・エヴァンスとの出会いがノネットの結成に大きな影響を及ぼした。

"Donna Lee"のレコードを聴いたギルがチャーリー・パーカーのところに行ったところ「あの曲を書いたのはマイルスだ」と言われたことが、ギルとマイルスの出会いのきっかけになった。マイルスは、ギルがアレンジを担当していたクロード・ソーンヒル楽団の"Robbin's Nest"の楽譜の写しと交換で"Donna Lee"の譜面を渡したという

・アドリブを重視しないアンサンブル重視の「クール」な楽曲は、マイルスの師であるチャーリー・パーカー「ホット」なビバップとは真逆のアプローチだった。このような脱ビバップ的でソフトな演奏は、白人リスナーを意識したという面が強い。また、メンバーが白人と黒人の混成なのも当時としては珍しいことだった。

SP盤時代なので一曲が短い。「Birth of the Cool」というタイトルは、当時は少しずつバラバラにSP盤で発売されていたものが、まとめてLP化される際に付けられたもの。

ノネットの結成は1948年だが、この年に第二次レコーディング・ストライキがあったため、それが終わった後の1949年からレコーディングが開始された。

・後のウェスト・コースト・ジャズに影響を与えた。

"Boplicity"ではマイルスが「Cleo Henry」という母親の名前から取った変名で作曲をしている。

ノネットのライブを収録した「The Complete Birth of the Cool」もリリースされている。

歴史的名盤とされている一方、今でも評論家の間で賛否両論がある。

重要度:★★★★★

「『クールの誕生』は、オレが思うに、バードとディズ(チャーリー・パーカーディジー・ガレスピー)の音楽に対する反動として支持され、コレクターズ・アイテムになったみたいだ。」 マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.187

 

「あの頃のオレは、ギル・エバンスのアパートにしょっちゅう行って、彼がする音楽の話を聞いていた。オレ達は、初めから気が合った。彼の音楽的アイデアは、すぐにピンときたし、彼にしてもそうだった。オレ達の間では、人種の違いは問題じゃなかった。いつも、音楽がすべてだった。」マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.192